さまざまなスタイルで「ハンターバンク」を利用しているハンターさんたち。
狩猟を始めたきっかけも、活動のペースも多種多様なのですが共通するのは〈自分らしく〉楽しんでいること。そのあたり、聞いてみました。
ハンター体験記 Vol.4 溝口尚重さん [その2]
旅から持ち帰った〈想い〉は、
ハンターバンクで〈現実〉になりました。
若き日の旅の記憶に鮮明なのは、アジアの寒村で目にした、ホカホカと湯気を立てる豚の解体の光景。それ以来、ずっと抱えてきたのは「自分が食べるものなのだから、すべてを自分の手でやってみたい」という想いでした。そんな長年の夢をハンターバンクで実現させた溝口さんの中では、はたしてなにかが〈変わった〉のでしょうか? それとも……。
──さて溝口さん、ハンターバンクに参加されて、猟果にも恵まれて、念願かなってチベット族の村で見た屠殺と解体の記憶を、やっとご自身でも追体験できた……というわけですね?
溝口さん: ハンターバンクの話を聞いて「これはいい機会だ」と思って参加を決めたわけですが、そのときはまだ狩猟免許の取得にはこだわっていなくて、まずは参加させてもらって、あわよくば自分でも肉がさばければな、くらいの感じでした。それが実際に参加したら、運良く2頭もかかりまして、いよいよ自分の手で〈肉を作る〉機会が持てることになったわけです。
──チベット族ではないにせよ、昔の日本でも、魚を獲って、締めて、さばいて食べるというプロセスの次の段階としては、例えば飼っていた鶏を締めて、解体して食べるというステップもあったわけですが、溝口さんの場合には魚釣りからイノシシの捕獲と止め刺し、解体へと一気にジャンプしたんですよね。
溝口さん: ああ……あまりそこには躊躇がないというか、魚も鶏も豚もイノシシも同じかな、という感覚で、どうせ同じだったらデカいやつのほうがチャレンジングだな、くらいですね。
──冒険、という感じでもなかったということですか?
溝口さん: ハンターバンクに参加すると決めてから、実際にその瞬間が来ることはわかっているというか、むしろその瞬間が早く来ないかな、と思っていたわけで、その間にいろんなシミュレーションはしてたように思います。解体の手順はああして、こうして……多分、想いがくすぶっている期間が長かったんで、気持ちの中では「自分が食べるものだから、自分で作るんだ」というイメージが醸成されていたんじゃないですかね。あの旅が23歳のときですから、もう、26年前……結構な期間ですね。まあ、人は当たり前のように肉を食べているわけで、だとすれば誰かが生き物を殺して、その肉を作っているわけなんです。それを、食べている自分だけが、なにかきれいな感じでいるのは変だな、と思うんですよね。
──それはその通りなんですが、でもスーパーマーケットでパックの肉を買ってきて、料理して食べていても、なかなかそこまでには思いが至らないですよね……。
溝口さん: いま話しながら、自分の中になにか源流みたいなものがあるのかな、と思い出してたんですけれど、九州に住んでいた小学生ぐらいのとき、養鶏をしている親戚がありまして、正月に訪ねると鶏料理がいっぱい出てくるんですよ。これ、いま締めたばっかりだよ、って感じで。その直前に子どもたちは鶏と遊んでいて、戻ってきて部屋に入ると、さっきまで遊んでいた鶏の仲間が、美味しい肉になって並んでいるわけです。そこで、いとこの子なんかはショックで泣き出しちゃったんですけど、ぼくは食べることができたんですよね。そうか、たしかにさっきも鶏と遊んでいたけど、いまここにあるこれって、食べものだよな、と。それはそれ、これはこれ、と切り分けて、泣かずに美味しく食べることができた、というのが、源流としてあるのかな、と思います。
──そうかもしれないですね、それは。
溝口さん: 生きていればそれは動物なんだけど、でも食べるものに変わるんだ、と、実際に目の前で置き換わって、たぶんそこで初めて気づいたというか、理解したんだと思います。それからチベット族の話だけじゃなく、パキスタンでも宿の主人が「これから鶏を締めて、美味しいディナーにするからね」と話してくれたりして、その辺を駆け回っているニワトリとかヤギとか「これ今夜のオレたちの晩メシなんだなあ」という目で見ていたので、あまり違和感がないというか、かなり前から「そういうものだ」と思ってたのかもしれませんね。それに……これちょっと哲学的というか思想的な話かもしれませんけれども、命は循環する、というか、感謝しながらいただいて、いつか自分が死んでも、もしかしたらまた鳥が食べるかもしれないし、あるいは微生物が分解して……という食物連鎖の中に、自分の肉体そのものはあるわけですし……そういう意味では動物をそんなに特別視していないというか、感情論よりも事実として、命をいただいて、また返して、みたいな流れの中に自分もいるんだな、とは思ってたような気がします。感情が入っていないわけではないのですが……。
──感情が入っているかどうか、ではなくて、感情とは別の軸もちゃんとある、という印象でお話をうかがっていました。客観性が失われていない、というか、それが理系センスなのかなあ、と……。
溝口さん: まあでも、実際にイノシシを解体したときには、内臓がすごく温かくて、その温かい中に手を差し入れて引き出すというのは、ちょっと想像の域を……理系センスとか客観的な見方とかを超えていたな、とは思いましたけどね。それに、ウリ坊が……止め刺しは首をかき切って締めたんですが、まさに手の中で命が失われていく、というのを自分で体験したので、さすがにグッと来るものがありました。ああ、いただいちゃったな、と……。
──なるほど……。ところで、狩猟免許はどうなったんですか?
溝口さん: 猟果のあとになりましたが、ちゃんと取得しました。でも、自分の場合もそうでしたけれど、興味はあっても機会のなかった人が、狩猟免許の取得がまだでも狩猟体験ができるというのはハンターバンクの最大の魅力ですから、皆さんぜひチャレンジしてほしいな、と思います。狩猟をしている人たちを探すのもなかなか難しいし、たとえ見つかったとしてもその人たちが受け入れてくれるかどうかもわからないわけですが、ハンターバンクのようなサービスがあると敷居が下がって、まず「やってみる」ということができるのは、メリットが大きいですよね。それに、獣害で困っている農家さんの助けになる、というのもいいですよね。
──さらなる猟果、期待しています。ありがとうございました。
ハンターバンクで挙げた猟果を前にして、旅の記憶の中の〈想い〉を、ご本人いわく「ずっとくすぶらせてきた」という宿題の答え合わせは、狩猟欲とはどこか別種の、それはでは人まかせだった「肉を得るプロセス」を自分の手で確かめることができた、という達成感だったようです。ノスタルジーかと思ったら、きっちり理系なお話でした。