さまざまなスタイルで「ハンターバンク」を利用しているハンターさんたち。
狩猟を始めたきっかけも、活動のペースも多種多様なのですが共通するのは〈自分らしく〉楽しんでいること。そのあたり、聞いてみました。
ハンター体験記 Vol.4 溝口尚重さん [その1]
旅から持ち帰った〈想い〉は、
ハンターバンクで〈現実〉になりました。
狩猟の現場が遠い都市生活者でも、全くの未経験者でも、そして、場合によっては狩猟免許の取得がまだでも……興味と熱意さえあれば誰でも気軽に、しかも手軽に狩猟生活をスタートできるのが、ハンターバンクの最大の魅力。そんなハンターバンクのフィールドでは、さまざまなバックグラウンドを持つハンターさんたちが、自分らしいスタイルで、今日も〈山の恵み〉である獲物たちと向き合っています。
アジアを旅したバックパッカーが目を奪われた、片田舎の村で見た屠殺と解体の光景。それまでは深く考えることもなく口にしていたブタ肉の、豚から肉になるまでの一連のプロセス。それ以来「食べるなら、自分で肉にしてみたい」という想いが長年にわたってくすぶっていた、という溝口尚重さんにとってのハンターバンクは、いちどは経験してみたかった屠殺と解体が、自分の手で実現できる場所でした。
──ハンターバンクに参加される〈きっかけ〉も皆さんさまざまだとは思いますが、溝口さんの場合には「獣を獲る」という〈狩猟〉よりも「肉にする」という〈屠殺〉や〈解体〉への想いが強かったようですね。まずはその出どころのエピソードから、お話をうかがえますか?
溝口さん: もう20年以上も前のことなんですが、若いころにはバックパッカーだったんですよ。まあ貧乏旅行で、中国とかインドとか、東南アジアあたりを8カ月ぐらい、あちらこちらフラフラと旅をしていたんです。そんなある日、たまたまチベット族の村で、これから豚を屠殺するぞ、という、どこか物々しい感じの庭先に遭遇しちゃったんです……。結構な奥地のほうまで行くと、当時でも豚とか鶏とか、みな自分たちで普通に締めて、食べていたんですよね。
──庭先! 戦前ならともかく、さすがに当時の日本ではもう見ることのできなかった風景ですね。
溝口さん: でしたね。それで、その日はめちゃくちゃ寒かったんですけれど、結局はなんだか3時間ぐらい、ずっとそこで見ていたんです。おそらくはその家の主人の手で屠殺され、解体されて、最後にはホカホカと湯気を立てる、いわゆる大バラシの状態になったわけです。それまで自分でも日常的に食べていたブタ肉が、まだ生きている豚の状態から大きな肉の塊になるところまでを見たのは、もちろんそれが初めての経験でした。
──それは衝撃的な光景だった、ということなのでしょうか。
溝口さん: そうですね……まあショックを受けた、とまではいかなかったんですが、現実に自分が食べている肉という存在がここから始まっていたんだ、というのを初めて目の当たりにしたというか……。基本的な知識としては持っていたわけですし、それに当時でもすでに近代化していた日本の畜産における屠殺や解体のプロセスとは違う、いわゆる原始的な方法だったとは思うんですが、それでも「ああ、こうやるんだな」と思って、どこか納得したんですよね。
──頭の中にだけあったイメージが、現実味を帯びてきた、というか……。
溝口さん: その日の光景が自分の中での原体験になっているんだと思うんですが、やっぱり自分が食べる肉は、いちどは自分の手で肉にしてみたいな、という想いになって……これはいつか自分でやらなきゃな、と。
──それから20年を超える時間が流れたわけですが……。
溝口さん: そうですね。アジア放浪は23歳の時でしたから、もう26年も前の話になりますね。でも、それからずっと、自分で屠殺して解体して肉にして食べる、という一連のことをやってみたいと、漠然と思っていたんです。それが日本に帰ってきて、屠殺や解体とは縁のない仕事で社会人になって、ずいぶんと年月が過ぎていたわけですが、つい最近になって、たまたまハンターバンクのことを耳にしまして、一気に再燃したわけですね。まあこの話がなくてもどこかでチャレンジはしていたんだろうな、という感じではありますけれど、自分としてはずっと、どこかで挑戦する機会をうかがっていたのかもなあ、と思うんです。
──若き日の旅の記憶は、ずっと生きていた、ということなんですね。
溝口さん: それにもうひとつ思い出したんですが、こちらもいまから30年も前に、小林よしのりさんが『ゴーマニズム宣言』というマンガを出して、かなり社会的な話題にもなったんですよね。その中に、豚の屠殺についての話もあったんです。内容としては「現代の屠殺場ではこういう風にやってますよ……これをなにも知らずに食べている、ってのはいかがなものか……」みたいなことを書いた話があって、それも自分の中では伏線になっていたのかもしれませんね。アジアの旅から日本に帰ってきて、日常の暮らしの中でしばらくの間は忘れていたんですけど、いずれどこかでその現場、例えば屠殺場の見学とかしてみたいな、というような願望も、ずっと心の奥底にあったのかもしれませんね。
──さて、そんな長年の想いを抱えてハンターバンクに参加された溝口さんですが、実際に狩猟という行為を通じて〈自分の手で肉にする〉ことを経験したいま、長年の想いはどう結実したのでしょうか……。
溝口さんのお話は[その2]へと続きます。
ハンターバンクで挙げた猟果を前にして、旅の記憶の中の〈想い〉を、ご本人いわく「ずっとくすぶらせてきた」という宿題の答え合わせは、狩猟欲とはどこか別種の、それはでは人まかせだった「肉を得るプロセス」を自分の手で確かめることができた、という達成感だったようです。ノスタルジーかと思ったら、きっちり理系なお話でした。